長青山 寶樹寺 梅窓院 略史
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長青山 寶樹寺 梅窓院は、寛永20年(1643)徳川家康公以来の家臣、老中青山大蔵少輔幸成公が逝去の時、 青山公の下屋敷内に13,247坪の地を画して側室を 大檀越として建立されました。(現在の梅窓院は三千余坪)
寺号は青山幸成公の法名 「梅窓院殿香譽浄薫大禅定門」 と、 側室の法名 「長青院殿天譽利白大姉」 から、 長青山 寶樹寺 梅窓院と名付けられました。
開山は戴蓮社頂譽上人冠中南龍和尚でありますが、 大本山増上寺十二世、中興普光観智国師を勧請して開山祖としました。以後、 青山家の菩提寺として今日まで歴代の当主、十三代の霊をお祀りしてあります。
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梅窓院の御本尊の阿弥陀仏は、江戸浄土宗寺院寺誌史料集 『文政寺社書上』によると、山の手六阿弥陀の一つとして信奉されておりました。 また三国伝来と伝えられ、古来より「青山の観音様」と愛称されてきた、 泰平観世音菩薩が安置されておりましたが、その観音堂は昭和20年の戦災で焼失。 その後、篤信者の願いにより、昭和25年に再建されましたがその御堂も老朽化した為、 平成7年10月に「新観音堂」が建立されました。
平成13年まで使用してきた本堂は、正式名称を無礙光会館(むげこうかいかん)と言いました。 和洋折衷様式の鉄筋コンクリート造りで、大正14年建築。 当時より近代的な建物とされ、青山のシンボルとしても注目されていました。
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梅窓院墓苑内には、郡上藩主 青山家歴代の墓や、シーボルトの弟子として蘭学を学んだ 竹内玄同の墓、赤帽・赤服・赤塗りの馬車に乗り「天狗煙草」を売ったと言う 明治時代の 奇商であった岩谷松平の墓、江戸時代に幕府の法に反して建立された キリシタン燈籠などがあります。
長年親しんできた無礙光会館も、時代の流れと共に老朽化が進んできました。そこで梅窓院では平成12年より、大々的な本堂復興事業を開始致しました。新たな本堂はバリアフリー設計で使いやすく、 どなたでもお参りしやすい、門戸の広いお寺を目指しております。
平成15年6月に新たなる新本堂棟が完成し、平成16年11月20日に落慶式を執り行い、新たなる梅窓院がここに始動しました。
それでは、梅窓院の歴史を紐解きましょう。